たみおの「1度きりの人生だもの」

人の考えに少しのジャブを入れるブログ

謝罪会見って何のためにやってるの

 

 

 

 

テレビのニュース、ワイドショー、ツイッターではどこもかしこもTOKIO山口メンバーの話題でもちきり。

 

 

「謝罪会見で30秒間頭を下げて〜」

「ファンやめるわ〜」

「DASH村が可哀想」

 

 

などなど何かを開くたびに聞くこんな意見に嫌気がさしてこんな内容を書くことにしたんだけども、

 

 

まずね、ずーーーーーーっと疑問に思っているんだけど、

謝罪会見って何のために開いてるの。

 

 

冷静に考えて、

あんな芸能関係者、出版社のカメラの前で頭下げて世間に「すいませんでした」って何の意味があるのかわからない。

 

 

今回の例で言うと、被害を受けた女性とかその親とか、事務所とかメンバーに直接頭下げればそれで済む話じゃないのかな。

 

 

もしCMとかをやってたならその広告元の会社に直接謝りに行けばいいだろうし、

 

 

関係のない世間一般に向けて頭下げて、特に応援もしてない人から「ないわ〜」とか「女性が可哀想」とか言われて、

 

 

いや関係ないやん(笑)って思うわけ。

 

 

たしかにその会見の映像を流すと、みんなが見たいだろうからテレビの視聴率も上がるし、盛り上がるからテレビ的にはやった方がおいしいのはわかる。

 

 

ただそれ以前に会見自体の意味よ、

加害者側がわざわざ開いて「関係ない人にまで謝罪」する意味ってないんじゃないかと思って仕方ないのさ。

 

 

「ファンやめるわ〜」勝手にやめれば

「DASH村が可哀想」それはDASH村に直接謝ればいいだろうに

 

 

世間体を気にして、みんなやってるからやらなきゃっていう発想なのかね

 

 

世間的にも、もし不祥事起こして会見しなかったらなんで会見しないんだよ!って言われそうだしね。

 

 

なんとも腑に落ちないなぁ、たみお。

 

 

 

 

 

本を読んだ方がいいよって話

 

 

 

 

本は読みますか?

 

 

 

もし全く読まないという人はなぜ読まないのでしょうか

 

 

 

本を読まない人の多くの意見は、推測するとおそらくこの2つ

・本を読まなくても困らない

・ネットで調べればいくらでもその情報が出てくる

 

 

 

本を読まない人はネットで情報を得ているはずだ。

 

 

 

しかしネットの情報が正しいかどうかについて考えたことがあるだろうか。

 

 

 

決して本を読まない人を小バカにしたいわけではなくて、本を読んだ方がいいよっていうお話です。

 

 

 

 

本には価値がある

 

 

 

改めて本の価値を考えていきたいのだが、

もしあなたが本を出したいと思い、全国の本屋に置いてほしいと思ったとき、

どうしたら本屋に置いてもらえるのだろうか

 

 

 

きっと真剣にこんなことを考える人は少ないと思うが、

もちろん名の知れていない、実績もない一個人が本屋に本を置くことはまず不可能だ。

本屋に持っていき頼み込んだとしても門前払いを食らっておしまいである。

 

 

 

それはきっと考えるまでもなくみんなが知っていることである。

では本屋に置かれている本と自分が作った本、何が違うのだろうか。

 

 

 

それは本屋に置かれている本(ひいてはその著者)が

出版できるだけの実績や社会的地位があるということ。

その本に売り物にする「価値がある」と判断されて初めて本屋に置かれる。

 

 

 

そりゃそうだよ、と言われるかもしれないが

では本に対してネットの情報というのはどうだろうか

 

 

 

ネットの情報の信用性

 

 

 

ネットで何かを発信するのに実績はいらないし、社会的地位がなくても自由に発信できる。特別に許可を取る必要もない。

 

 

 

誰もが自由に自分の持っている情報を発信できる。

それがネットの強みではあるが、ではその情報は本当に信用できるのだろうか。

 

 

 

現代において多くの人がネットの情報で良し悪しを判断し、

例えばツイッターで多くリツイートされている情報はなぜか信用される傾向にある。

それが決して著名人でなくても。

 

 

 

さらには困ったらウィキペディアを見て情報を調べ、

その情報が100%合ってる前提で話を進めたりする。

ウィキペディアは誰でも編集でき、誰でも情報を書き換えられるのに。

 

 

 

つまりはネットの情報より本の情報の方が信用性も高く、情報としての質が圧倒的に高いということだ。

 

 

 

だから本を読んだ方がいいよ、っていうことなのだ。

 

 

 

ネットの情報だけで物事を判断していたらその人自身の信用も失いかねない。

 

 

 

このネット社会だからこそ、本の「本物の情報」を得て、その物事の真偽を自分で考えて答えを出す必要があると思っている。

 

 

 

(もちろん「すべての本が正しい」というわけではなく、合う合わないがあったり当たりはずれはあるが、ネットの情報よりは信頼できるという意味)

 

 

 

読書をして自分の知見を広げることで、情報の良し悪しの判断もできるようになる。

ネットの情報に惑わされないためにも本を読もうねっていうお話でした。

 

 

 

 

 

変に堅苦しくなっちゃったかもね

 

 

 

読書家のたみお

「時間がない」は錯覚



「時間がない」と言って出来ない、やらない人が日本人には多いようだ。

ただそれはたぶん錯覚だろうって話をします。

 

 

 

何かを進められたとき、これやった方がいいよと助言されたとき「時間ないからな~」と言ってやらない人、やってもすぐにやめてしまう人に今まで200人ぐらい出くわしてきたと思う。

 

 

 

そんな人に出くわすたびに「なんて忙しい生活をしているんだ…」とか「なんでそんなに時間がないんだろう」と思って考えていた。

 

その答えが暫定で出てきたので共有したい。

 

 

 

まずこの「時間がない」という言葉には2つの内包された意味がある。

 

 

 

1つは、「それに時間を使う価値がない(と思っている)」もしくは「それに時間を使う価値を見出せていない」こと

 

 

 

人はそれが自分にとってメリットになる=価値がある、ものにしか時間を割かない

 

 

 

例えば読書をした方がいいと勧められたとしても、勧められた側はなぜ読書がいいのかも分からず自分にとって時間の無駄だと判断すれば読書をするのをやめる。

 

 

 

逆に嫌々コンビニのバイトでレジ打ちしているのも給料としてお金をもらえるというメリットがあるからだし、

受けたくもない授業の教室に時間通りに座るのも、単位や卒業というメリットがあるからであり、そこに時間を割くメリットがあるからである。

 

 

 

そしてもう1つの意味合いは「時間の解釈を間違えている」ということ。

 

 

 

これは1日の時間の使い方によるもので、

多くの人は今までの生活の中に無理やり新しく始めること、を詰め込む。

 

 

 

つまりは生活リズムやその他の行動は今まで通りで、

その中に無理やりねじ込もうとするのだ。

 

 


知ってのとおり時間は有限で、1日24時間というのは誰にでも与えられた唯一平等なものだ。

 

 

例えば、大袈裟な例で言えば

睡眠に8時間、仕事に8時間、移動時間に往復2時間、飲み会で3時間、家事に1時間、テレビ・スマホに2時間

 

を使ってしまうと24時間潰れてしまいこの中に新しい何かを詰め込もうものなら溢れて耐えられずにどこかでガタがきてしまう。

 

 

そのガタに耐えられずにやめて続かないという具合だ。

 

 

この考え方でいくと、何かを始めるには何かを捨てる必要があるということだ。

 

 

具体的な方法で言えば、

「テレビを見る時間を30分だけ減らしてこの時間筋トレしよう」とか

「ツイッターを見る時間を10分だけ減らしてこの時間に筋トレしよう」とか

「誘われた飲み会を断って空いたこの3時間がっつり筋トレしよう」とか

 

 

 

そういう時間の使い方である。

 

 

 

このときのポイントとしては最初から、1時間も2時間も時間を割こうとしないこと。

最初は1分からでも今までの時間から捻出できればそれが自分の大きな成長につながるとぼくは考えている。

 

 



上記した2つの意味を理解するだけで「時間がない」の呪縛から少しは解放されると思う。

 

 

 

あとは他にもこの時間捻出のための重要なファクターが色々あるので、また後日にでもシェアしたいと思う。

 

 

 

ここまで読んでくれてありがとう。

 

 

 

「最近は割と時間がある」たみおでした

 

 

 

誰のためのブログか

 

 

どうもこんにちは、たみおです。

 

 

この度ブログを始めます。

(1年ぐらい前にラインブログをちょっとだけやってたけど)

 

 

なんでこのタイミングで始めるかというと、

それこそ1年ぐらい前にLINEブログを一瞬3、4記事だけあげてやめちゃったときと違って、世の中に発信したいことが山ほどあるからってことなんです。

 

 

というのも実は今年から学生という身分がなくなり、就職をしないで社会に放り出されたわけなんですけど、

放り出されたからには何も考えずにケロケロと過ごしてるわけにもいかず、色々と勉強したり考えて行動したりしていく中で

 

 

「あれみんな息苦しそうじゃね」「みんな人生楽しくないんじゃね」

 

 

っていう疑問が出てきたんです。

 

 

そこで少しでも元気になれたり、前向きになれるようなことを提示出来たらいいなっていう強い思いがあって、

じゃあブログで伝えようって経緯になったわけです。

 

 

みんなみんな言ってるけど、おれ自身も日々いろんなことに悩んで、迷って、立ち止まっているわけで

そんな自分自身の胸の内の吐き出し場所としても有効だなと思ったの。

 

 

 

おれは「一度きりの人生なんだから好きなように好きなことして生きる」っていう信念を持っててそれを突き通してきてたつもりだったんだけど、

 

 

 

最近好きなように生きてないなって感じてしまって、

なんでだって考えたときに色んなことに縛られてるからだって気づいたの。

 

 

 

今してるアルバイトもそうだし、

やりたいこと、叶えたい夢が溜まっていくだけってものそうだし、

自分で自分を勝手に縛ってるから好きなようにできないんじゃんって気づいたの。

 

 

 

それじゃあまずは縛られてるのを徐々にほどいていこうかっていう作業をしようと。

 

 

 

そのために最近は行きたいところに行って、やりたいことをやって、それなりにレスポンスがあってっていう生活をしてて、

その中でこういうブログっていう形で発信することもやりたいことだなっていう、そう話とかね

 

 

 

みんな悩んでるならおれもこうしてるからこうしてみれば?みたいな

 

 

 

自分の為でもあり、他人の為でもあるそんなブログ

 

 

 

夜寝る前の3分だけでも読んでくれたら嬉しいなって思います。

 

 

 

「明日の仕事嫌だな」って思うよりも、「明日すごい楽しみになってきた!!」って思う方が幸せじゃんっていう単純な話。

 

 

 

たみお