「時間がない」は錯覚
「時間がない」と言って出来ない、やらない人が日本人には多いようだ。
ただそれはたぶん錯覚だろうって話をします。
何かを進められたとき、これやった方がいいよと助言されたとき「時間ないからな~」と言ってやらない人、やってもすぐにやめてしまう人に今まで200人ぐらい出くわしてきたと思う。
そんな人に出くわすたびに「なんて忙しい生活をしているんだ…」とか「なんでそんなに時間がないんだろう」と思って考えていた。
その答えが暫定で出てきたので共有したい。
まずこの「時間がない」という言葉には2つの内包された意味がある。
1つは、「それに時間を使う価値がない(と思っている)」もしくは「それに時間を使う価値を見出せていない」こと
人はそれが自分にとってメリットになる=価値がある、ものにしか時間を割かない
例えば読書をした方がいいと勧められたとしても、勧められた側はなぜ読書がいいのかも分からず自分にとって時間の無駄だと判断すれば読書をするのをやめる。
逆に嫌々コンビニのバイトでレジ打ちしているのも給料としてお金をもらえるというメリットがあるからだし、
受けたくもない授業の教室に時間通りに座るのも、単位や卒業というメリットがあるからであり、そこに時間を割くメリットがあるからである。
そしてもう1つの意味合いは「時間の解釈を間違えている」ということ。
これは1日の時間の使い方によるもので、
多くの人は今までの生活の中に無理やり新しく始めること、を詰め込む。
つまりは生活リズムやその他の行動は今まで通りで、
その中に無理やりねじ込もうとするのだ。
知ってのとおり時間は有限で、1日24時間というのは誰にでも与えられた唯一平等なものだ。
例えば、大袈裟な例で言えば
睡眠に8時間、仕事に8時間、移動時間に往復2時間、飲み会で3時間、家事に1時間、テレビ・スマホに2時間
を使ってしまうと24時間潰れてしまいこの中に新しい何かを詰め込もうものなら溢れて耐えられずにどこかでガタがきてしまう。
そのガタに耐えられずにやめて続かないという具合だ。
この考え方でいくと、何かを始めるには何かを捨てる必要があるということだ。
具体的な方法で言えば、
「テレビを見る時間を30分だけ減らしてこの時間筋トレしよう」とか
「ツイッターを見る時間を10分だけ減らしてこの時間に筋トレしよう」とか
「誘われた飲み会を断って空いたこの3時間がっつり筋トレしよう」とか
そういう時間の使い方である。
このときのポイントとしては最初から、1時間も2時間も時間を割こうとしないこと。
最初は1分からでも今までの時間から捻出できればそれが自分の大きな成長につながるとぼくは考えている。
上記した2つの意味を理解するだけで「時間がない」の呪縛から少しは解放されると思う。
あとは他にもこの時間捻出のための重要なファクターが色々あるので、また後日にでもシェアしたいと思う。
ここまで読んでくれてありがとう。
「最近は割と時間がある」たみおでした