「給料の分だけ贅沢する」をやめる
どうもたみおです。
ぼくは日ごろから「生活レベルをあげない」
ということを 意識して生活しています。
おそらく普通の人は収入が増えると、その分消費も浪費も増えると思うんです
欲しかったものを買ったり、おいしいものを食べたり、いい家に引っ越したり。
要は贅沢をすると。
ただそういう生活をしてると、
どんどんと生活レベルがあがっていって
それに合わせて稼がなくてはいけなくなってくると。
その分働かなくてはいけなくなってしまうんです。
生活レベルを上げても、それ以上に稼ぎ続ければ
全く問題もないわけなんですけど、
宝くじで大当たりした人のほとんどが破産してる
っていう話も同じで一度上げた生活レベルを戻すのって
なかなか大変だと思うんですよ。
例えば欲しいものを買って、その分モノ置くスペースが必要になって広い家に引っ越してってのを繰り返してるとそこから小さくて狭い家に引っ越すってなかなか難しい。
同じように収入が増えた分、高くて良いものを食べるようになると
舌も肥えてちゃうから安いものが食べれなくなる。
ぼく自身も元々は何も意識しないで
稼いだ分だけ使えるお金なんて考えていたので
その分生活が苦しくなるなんてことも
日常茶飯事だったわけなんですけど、
意識するだけで少しばかりは変わってきましたね。
たぶん無意識にやってしまっている人もいると思うので
これを機に意識してみるとなにか変わるかもしれませんので参考に。
ではまた
どんなライブも飽きてしまう ~飽きないライブのつくりかた~
どうもたみおです。
早速なんですが、タイトルの通り
ぼくはライブに行くとすぐ飽きてしまうんです。
それは例えばインディーズバンドの30分尺のライブでも
大きな会場でやっているプロの2時間のライブでも変わらず。
知らないバンドだったり曲自体知らないとかだと尚更なんですけど
好きなバンド好きなアーティストでも割とすぐ飽きてしまいます。
平均すると尺の4分の1を超すと「ああ帰りたい」ってモードになっちゃうんですね
30分尺だとだいたい7分半で、
2時間尺だと30分ぐらいで。
もちろん最初ライブが始まったとき、幕が開いてアーティストが出てきたときは
「わあ、すごい本物だ!!」とか
「かっこいい!演奏うま!!」とか感動するんですけど、
その感動が長く続かなくて途中でモードチェンジしちゃうんですよね
そのあと「帰りたい」モードの中やっと終わったと思ったら
まさかのアンコール。
もうやめて~って気持ちなんですよねそのモードのときは。
じゃあなんで飽きちゃうのかってのを考えました。
むしろ飽きないライブってどんなのだって考えました。
ぼくが見てきたライブの中で飽きなかったライブ。
それは
「自分も一緒になって楽しめること、そのライブに参加できること」
ライブなんだからその時点で一緒になってるじゃん、とか参加してるじゃんっていう話ではないんですよ
ライブとしての「演出」の話なんです。
例えば、2時間多少手をあげたりはするけど基本立ちっぱなしでライブを見てるのと、
みんなで同じ動きをしたり、お決まりのノリがあったり、観てる側も一緒になって楽しめる「演出のある」ライブがあったらどっちの方が楽しいか
絶対後者なんですよね
それがぼくが感じた飽きないライブの演出で、
要は、観る側(お客さん)も含めて「ライブを演出する出演者にすること」がライブの価値を高めるコツなのかなって思います。
今までの考え方だとアーティストがお客さんに対して演奏して、
お客さんはそれを見る、という一方的な構図だけれど
それだとどうしてもお客さんが手持ち無沙汰になってるし
何回も見ると飽きてしまうし、一辺倒で面白みがないと思ったんです。
まあ今まではそこをアーティストの「魅せ方」でカバーしていた部分があると。
そうじゃなくてライブでどうお客さんを巻き込んで
全員が飽きずに楽しめる「場」を提供できるか。
ってのに重きを置けばより楽しいライブができるんじゃないかと。
さらに言えば今の時代にもあってるのかなと。
例えば映画とかもそうですけど、
2時間座りっぱなしとか2時間立ちっぱなしってキツいんですよ
元々、少し前までは暇つぶしの一つとして、
2時間座ってるってのは良かったかもしれないんですけど
1つものに集中して2時間ってのは現代人にはちょっとキツイと思っていて、
今の時代、スマホをいじってればいくらでも暇はつぶせるし
基本みんな何かしながらスマホをいじってるっていう生活をしてると思うんですよ。
テレビ見ながら、映画見ながら、食事しながら
それが当たり前でマルチタスクが普通になってる。
その中で、2時間その場で拘束されるってのはかなりハードルが高いと思うんですよ
なので今まで通りのただアーティストがライブをして
それを観覧者が見るっていう一方的な形自体が今の時代に合ってないと。
っていう流れでぼくのライブに飽きてしまうっていう問題が発生していると考えたわけです。
立ちっぱなしで観させて「どうだおれらのライブは!!」ってのじゃなくて、
お客さんを巻き込んで「みんなでライブを創る」っていう構図の方が確実に面白いんじゃないかと思うんです。
むしろぼくがそっちの方が好みなんです
そういうライブの方がエンターテインメントなんじゃないかなって思うんです。
けどきっと音楽の世界だと「ロックじゃねえ」という熱い人もいるので、全く否定するわけではないですしそういう熱い音楽も好きですしかっこいいです
ただ一個人として、飽きないためにはこういう演出があっても面白いんじゃなかなっていうお話でした。
まあ今後も行きたいライブには行きますし楽しむ努力はするつもりですのでどうぞご贔屓に
ではまた
たみお
お金はどうやって生まれたか
どうもたみおです。
最近お金について考えることが多くて、
一体お金とは何なのかという疑問が湧いてきました。
そこで調べていく中で発見したお金というものの起源が面白かったので紹介したいと思います。
かつて人々がどうやってお金を使っていて
現代にどう生きているのか、どう成り立っているのか。
そんなに堅苦しい話ではないけど
単純にこうやってお金って出来たんだ~っていう知識として
知っておいて損はないと思いますので
お金の成り立ちですね。
紐解いていきます。
モノを得るためには物々交換
かつて大昔の経済は、もちろんお金など存在していません
そこで行われていたのは物々交換です。
なにか自分が欲しいモノを自分が持っているモノと交換する。
直接会って物々交換をする。当時はそうするしか方法がありませんでした。
しかしそれは非常に効率が悪いもので、
ピッタリとマッチングしなければ何にも代えられずに
結果死んでしまう、生きていけないわけです。
そこで生まれたのが売買したい人が集まる「市場」です。
なにかを売りたい人が売りに出して、何かを買いたい人が買いに来る
今で言うところのマッチングアプリとか婚活サイトとかのイメージですね
需要と供給がその場でサイクルしていくわけです。
ただここでまた問題が発生しました。
条件がぴったり合うものが都合よく市場に出ているというわけではないということです。
マッチングアプリと違って妥協するとか条件を減らすとかはないわけで、
モノとモノとが欲しい売りたい買いたいと完全に合致しなければ売れないし買えないわけです。
ではどうしたか
「みんなが欲しがるモノ」を持っておこう
そこで「仲立ち物」と呼ばれるみんなが欲しがるモノを持っておこうという思考が生まれました。
それが当時の日本では「稲」と「布」でした。
稲とはつまりお米のことで、当時は貴重品で食料としてみんなが欲しがるモノでした。
そして布も、切ったり縫ったりすれば衣服になり履物になり部屋の飾りにもなるということで汎用性が高かったわけですね。
(この稲が当時「ネ」と呼ばれていたのが、現代の値の語源になっているといわれています)
場所を変えてこれが中国だと「貝」でした。
子安貝という貴重な貝は模様もキレイでみんなが欲しがりました。
さらに古代ローマではこれが「塩」でした。
やはりここでも塩は貴重品で、兵士の給料として与えられていたそう。
(豆知識として、この塩がラテン語で「サラリウム」というのが現代の「サラリーマン」の語源となっています)
みんなが欲しがるモノは地域によってバラバラだったわけなんですね、
地域ごとに仲立ち物を求めて狩りや漁をしてたんですね。
ただその中でこの仲立ち物も使いにくいとか、あの地域のこれがいいらしいぞなんて情報が回ってきて、それが時代と共に変化していきます。
最後に残ったのが一番使い勝手が良いとされた「金・銀・銅」です
希少性も高く、当時の技術でも簡単に溶かせて鋳型に流せば
金貨・銀貨・銅貨が簡単に作れる。
誰にとっても欲しいものとして金銀銅が世界的なお金として使われるようになりました。
お金持ちに預けてもらう「預かり証」
世界的なお金が誕生してからは大規模な商取引も行われるようになって、そこでまた問題が発生します。
大量の金貨をジャラジャラ持って歩くのは危険だし重いし
強盗に遭うかもしれない。家に置いておくのも心配だ。
そこで商人たちは金貨をたくさん持っているお金持ちに自分たちの金貨を預かってもらうことにしました。
お金持ちはその金貨を預かりましたという証明として「預かり証」を渡して、「これを持って来ればいつでも金貨と交換しますよ」としていました。
これが紙幣の始まりだということです。
要はそのお金持ちに「いつでも金貨と交換してくれる」という信用がある、ということはその預かり証そのもので取引をすればいいじゃないかと。
金貨と違って紙の預かり証は軽いし、持ち運びに便利。
そのお金持ちの信用の対価が「紙幣=お金」なのです。
つまりは時代は変わってもお金とは、
欲しいものを手に入れるための「交換の手段」でしかないということですね
モノの「価値」の対価であってお金自体に価値があると思い込んでると色々損するなあって感じた話
人間って面白いなあ、よくやるよなあって感じました。
以上、単なるお金の成り立ちの話でした。
タメになったね
たみお
夢の舞台
どうもたみおです。
今日は今までとはちょっと違って、熱い話をしようかなと思いまして、
夢の話
夢といっても寝るときに見る夢のことではなく、
叶えたい目標だったり目指すべき場所だったりのことですね。
最近忘れかけてたことをここ書くことで
再認識して自分を高めていきたいなと思いましてね。
まず、多くの人が知っての通りぼくはドラマーです。
普段はドラムを叩きながら色んなことをしているんですけど、
最近は自分を見つめ直す時間が多く取れていて、改めて人生を考え直してみたんです。
何のために生きていきたいんだろうとか
何をして生きていくのかとか
本当にやりたいことって何だろうとか
そう考えた中で一つ自分の中での答えが見つかって、
それが「好きなことを好きなようにして生きたい」ってこと
言葉にするとなんてチープなんだろうと自分でも思うんですけど、実際これが生きる意味で人生を楽しく生きるコツだと思うんですよね。
周りに合わせて流されて行動したり、お金を稼ぐために嫌な仕事を愚痴りながら生活したり、悪いストレスを抱えて毎日うなされたり。
そんな人生送りたくないんですよ。
ただ現状それが頭ではわかっていても実行できない部分があって、
それは今のぼくの力不足が理由なことであったり、お金の問題であったりなんですけど、
それが本当に悔しくてそれを吹き飛ばしてやろうと今はやりたいことをとことんやっているわけなんです。
そして思い立ったのが先月の4月末、
おれは何のためにっていう原点を思い返して、自分を奮い立たせるために夢の舞台である『日本武道館』に行ったんです。
ドラムを始めた頃から漠然と
「武道館に立ちたいなあ」って思ってはいたんですけどそれはあくまで「空想」なだけだったんですよね。
それが年々ドラムを本気でやるって考えるたびに
「あーこれ夢だな、絶対立ってやるわ」って気持ちになっていって
「目標は?」って聞かれると自然と「武道館」って答えるようになったんですよね。
ただそんなこと言いつつ一回も見たことがない
そんなんじゃイメージも湧かないし説得力もないなって思い立って
直接拝みに行ったんです。
生で見ると想像よりも全然デカくて
やっぱりこの舞台に立つって凄いんだなって改めて感じて、奮い立ったわけです。
名だたるアーティストたちが立ったその舞台に同じように立ち、満員の観客を前にパフォーマンスをする。
想像しただけでワクワクして来るじゃん
頭の中での想像が実際に見に行くことで、目の前に広がっていく感覚があまりに気持ちよくて
実際にそのときになったら昇天するんじゃないかって不安もあったりして。
キャパは大体15000人なんだそうな。
普通のライブハウスのキャパが200人300人ぐらいだとするとだいたい50倍~75倍。
最高だわ。
定期的にこの場所に足を運ぼうと決めました。
ここでイメージした未来図を興奮を何度も思い返そう、何度も思い出そう。
この気持ちを忘れないように生きようと。
好きなことっていってももちろんそれはドラムだけに限らず
やりたいと思ったことをとことんやっていく。
小さなことでも一つの行動が人を作っていくと思っていて、もうとにかく生きたいように生きさせて。
そんなぼくを少しでも応援していただけたら幸いです。
最高に楽しく過ごしましょうや、悪口言ってるぐらいなら明日の楽しい話をしようや
毎日をワクワクドキドキさせて生きたい
たみお
無駄遣いをなくす方法
「今月もうピンチだ」
「給料入って無駄遣いしちゃった」
「来月からは無駄遣いしないようにしよう!」
こんな言葉をよく耳にします。
実際言ってる人かなりの数いると思います。
無駄遣いしたくないけど、浪費癖を直したいけど治らない
なんて人のために今日は書いていきますね。
ぼくが実践しているマインドとその極端な具体例を紹介します。
今回はちょいとボリューミーです。
ただ実際にここに書いてあることを実践すれば、
無駄遣いをほぼゼロにすることができると思いますので。
(変な広告みたいですけど、本気です)
もちろんできるかどうかはその人次第なのは言うまでもありませんが、
無駄遣いをやめたい人は一回気合い入れて読んでみてください。
いってみましょう
●「無駄遣い=必要経費以外のお金を使うこと」
じゃあまず無駄遣いのとは何なのかを考えましょう。
その答えは単純で見出しにある通り、「必要経費以外のお金を使うこと」です。
どういうことか。
必要経費とは、例えば一人暮らしをしている社会人が月にかかる家賃、光熱費、通信費、食費、交通費などのことで生活する上で最低限かかる費用ですね。
それに対して、上記以外のことお金を使うことは基本的に全て無駄遣いといえます。
(人によっては娯楽費、交際費などがあるとは思いますが、ここではそれを必要経費として考えないことにします)
使う予定ではなかったお金を使ってしまうことなので、これがいわゆる無駄遣いですね。
じゃあなぜ頭ではわかっているはずなのに無駄遣いをしてしまうのか。
理由は簡単で、
まず前提として無駄遣いする人のほとんどが
「その月に使ってもいいお金」を決めていると思うんです。
必要経費から差し引いた分を「今月あといくらで過ごせる~♪」と換算するわけですね。
しかしこの「月に使ってもいいお金」の存在自体が
「無駄遣いしてもいいお金」になるわけです。
計画もなしに使ってもいいとしていたら、
そりゃあったらいくらでも使っちゃうわ。
思い当たる節がありますか
もしあったらぜひ次に進みましょう
●お金すべてに「居場所」を与える
次にじゃあ無駄遣いをなくすためにはどうしたらいいのって話なんですけど、
この「使ってもいいお金」にも居場所を与えてあげるってことが最初のポイントです。
今までのこの「使ってもいいお金」っていうのは、
円グラフで言うところの「その他」の項目みたいなもので家賃、食費、とかそれぞれに与えられた項目「以外」を全部ひとまとめにしちゃってるから使っちゃうわけです。
つまり「使ってもいいお金」全てをなるべく細かく何に使うかを決めておくと。
例えば使ってもいいお金が3万円あるとすると、
1万円は貯金して、1万円でディズニー行って、
5000円でライブに行く、余った5000円は緊急用に貯金とは別にしておこう
とかね
実際はもっと10の位、1の位まで細かく分けた方がいいんだけどもね。
この段階である程度の予算案を細かく出しておいて、ある程度目算しておくと。
こうすることでお金一つ一つに居場所が出てきて、無駄に使うことが格段に減ります。
「知らぬ間にお金が無くなってる!!」
なんてこともかなり減ると思います。
プラスアルファ無駄遣いに対する罪悪感が生まれます。
罪の意識が生まれて、無駄遣いをしないように頭が働きます。
ただ正直この罪悪感は裏目に出ることが往々にしてあります。
人は、ダメなこととわかっていながらやってしまうなんてこと経験があると思います。
ダイエットをしてる時にこそケーキが輝いて見えて食べちゃう。
禁断の愛にこそ燃える。
みたいなよくある話ね。
これに対してはもう頭でどう考えても解決しないので
誘惑には負けてしまうのでとっておきの方法をご教授。
●やれない「環境」をつくる
もはやこれは何に関しても応用が利く最強の処方箋で、
要は物理的に無駄遣いできない環境にする、そういう状況をつくるってこと。
つまりは、結局いくら無駄遣いを理解しても、居場所をつくっても、
お金が財布に入ってるから使っちゃうってわけですよね
コンビニに行ったついでに買うはずなかったお菓子とかアイスとか無意識的に買っちゃうんです。むしろそれが普通です(笑)
じゃあもういっそのこと、
お金を全部家に置いてきちゃえ
っていうのが最強の手です。
もちろん何か必要なモノを買うときはお金を持っていきますけど、それもその買うもの分の小銭とかしか入れません。
払うお金がなきゃ買いようがないですし、
元々お金が入ってないからという前提でいると
買う食いするっていう発想にもなりにくくなります。
ただここで重要なのが、
銀行からお金を引き落とせる手段も排除しておくこと。
銀行に入ってるとすこし食欲が湧いたときでもすぐ下ろしてきて買っちゃいます。
むしろそっちの方が無駄遣いが止まらなくなります(笑)
で、その方法としては2つあって
・キャッシュカードすらも家に置いてくる
・銀行の口座にお金を入れておかない
こうすることでつい食欲、物欲が出てきてしまったときでも
買うことができないから買わない、という究極の一択が出てきます。
ぼくは後者ですね、今銀行の口座には500円ぐらいしか入ってないと思います(笑)
そんなこと言ったってもしものことがあったときお金なかったらどうするの!!
っていう人がほとんどだと思います。
ただ、もしそんなことが起きたらそのときはそのときだ、
って考えですぼくは。
正直、最悪本当にお金なくて困ったらきっと誰か人に借りますし、そこでお金がないからって死ぬわけでもないからね。
そういう考えが根底にあるからこそできることだとは思うのですが、この方法で今ぼくは無駄遣いをほぼゼロにできています。
実際これにたどり着くまでにいろいろな方法を試しました。
翌月の1日ごとに使うお金を計算したり、
項目ごとにジップロックに入れて管理したり、
ほんと細かいことやってるなーとは思うけどね(笑)
冒頭で言った、できるかどうかはその人次第っていうのはそういうことで、そんなことできないよって人がほとんどなのも理解してるつもりです。
ただあれこれリスクを考える前に試しに一回やってほしいとは思うかな。
一回やってみたらそれを踏まえて、これをやるぐらいなら自力で無駄遣いを減らしてみるわってのもいいし
逆にこんなめんどくさいこと考えるぐらいならいくらでも無駄遣いするわ!!ってのも大いにありだと思う。
ただ一つの方法論として少しでも参考になれば幸いですわ。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
これであなたも無駄遣いマスター!!!!
無駄遣いゼロを目指して たみお
周りの目を気にしない生き方
どうもたみおです
周りの目を気にして何も身動きをとれない人がかなりの数いると感じて、
少しでも参考になればと思って僕の考える無敵の考え方を紹介しようかなと。
早速まず1つ、
「誰もあなたのことをなんか考えてない」理論
これは「時間の経過」と「慣れ」が解決してくれるんじゃない?って考え方で
例えば、ぼくがこんなに偉そうにブログに価値観とか考え方とかを書いたところで、比較的身近な人は「たみおなに偉そうに語ってんだよ(笑)」とか言ってると思います。
それは被害妄想とかではなく、実体験として。
ただその時一瞬だけその話になったところで、その後そんなに話題になることはそんなにないと思うんです。
1週間後とか1ヶ月後もずっとその話題で持ちきりなんてこともないわけで、ある一時の話題の一つでしかないわけですよ。
それが「時間の経過」が解決してくれるって話で、芸能人ならまだしも周りの人がある人の悪口だとか話を1日中でもずっとしてるってないよね。
カフェの話したり、恋愛の話したり、芸能ゴシップの話したり、彼氏彼女の話したり、死後の世界の話したり.....
そうやって会話が変化していろんな話題を共有するのが楽しいわけなんですよね。
もって30分ぐらいじゃないか?1人の話題って(適当な感覚値です)
そんなもんなんですよ、会話の中での1人の人間っていうのは。
そいで、プラスして
おれがこのブログを書き続けたら、こういうこと言うのが当たり前になってそのうち誰も何も言わなくなるよね、「慣れ」てくるよねって
今まで誰もやってこなかったり、いつもと違うことしたり、新しいことを始めるから周りから何か言われるだけで、それが続いて当たり前にしちゃえば何も言われなくなる
言われるのなんて最初だけなんだから。そんなこと気にせずいこうや
考えたら当たり前の話なんだけど、これを理解してるってだけでだいぶ心は軽くなってくると思うわけさ。
そしてもう一つのマインド、
「2度と会うことがない」理論
知り合いとかではなく街ですれ違う人とか、見ず知らずの人に対する有効な手で、
今日あの交差点ですれ違ったあの人とまた会うことってまぁなくね?っていう考え方
例えば小さな集落の中とか人が50人しか住んでないちっちゃい村とか、自宅のすぐ近く、とかならまた別の話だけど、
そこら辺の道路でイチャイチャしてるカップルが乗った車とすれ違ったとしても、その人たちと2度会うことないよねっていう。
もう2度と会わないから何しても気にしないっていう考え方。
逆にその周りを気にせずイチャイチャしてるカップルはこう言うマインドを持っているんじゃないだろうか
まぁ要はこういうマインドを持つと周りの人が何をしてるかとかも意識して気にしなくなるの
こんな、日本ですら1億人以上いる人を気にし出したらもう何も身動き取れないよそりゃ
どうにかして周りを気にせず生きたいって人に送るマインド。少しでも気にせずに行動できる人がいたらいいねって思いがあっての今日のブログでした。
周りを気にせず生きていけてきているたみお
「すき間時間」をあえてつくる
どうも、たみおです。
今回は短めです。
この前投稿した「時間がない」の話の中に出てきた、重要なファクター(これ言いたいだけ要はコツ)を一つを紹介しようと思います。
まだ読んでない人はこちらからどうぞ
例えば電車での通勤時間や通学時間、これが1時間かかるとする。
一見すると「時間がないの法則」でこの1時間をどうにか削った方がいいと考えてしまうが、
逆にこの1時間でしかできないことをやることで有効活用できる。
この時間を利用して、読書をしたり
やっていなかったその日提出のレポートを仕上げたり、
その日に合わせるバンドの曲を覚えたり…
ここでポイントなのがある程度ゆとりのある時間と使いやすい、ということ。
これががもし10分しか電車に乗っていなかったとすると、その時間でレポートを仕上げようものなら用紙を出してペンを出して3行書いて駅に着くなんてこともありえる。
こういった「すき間時間」をあえてつくれば有意義な時間を過ごすこともできるという助言でした。
素敵なすき間ライフを
たみお